播州・播磨・加古川・高砂・明石・姫路地域で、牡蠣料理をはじめ、四季折々の旬な食材を使用した会席料理やコース料理、豊富な一品料理を味わうなら、JR加古川駅にほど近い「かき庄」へ。播州・播磨・加古川・高砂・明石・姫路地域で、牡蠣料理をはじめ、四季折々の旬な食材を使用した会席料理やコース料理、豊富な一品料理を味わうなら、JR加古川駅にほど近い「かき庄」へ。

|営業時間|AM11:00~PM2:00/PM5:00~PM10:00|定休日|月曜日

 明治37年、創業者である高山立宝(たかやまりっぽう)が、当時かき商人が多い町としてしられる広島県安芸区矢野町で生まれました。創業者は、青年時代より料理をすることが好きで、縁もあって単身、博多にいる叔母の料理屋さんへ修行に行くことになりました。博多での修業をつんだのちに、憧れの京都へ向かい、さらなる修行を重ねていきました。その後、自身で店を構えることを決意し、そのまま京都での出店も検討しましたが、故郷で盛んだった「牡蠣」を使って料理をしたいという想いがあり、かき船が通り、ニッケなどで栄えていた「加古川」の地に移り、大正15年、立宝の父親、庄助(しょうすけ)より一文字とり命名した「かき庄」を創業することとなりました。
 創業当時は、かき料理専門店として、10月から3月の間のみ生まれ故郷の矢野町より、仲居さんを呼んでお店を営業し、4月から10月の間は、家族で農作業を行っていました。また戦時中は、お店を休業し、船内での料理担当を務めておりました、戦争が終わりお店に戻ってきた際に、冬期のかき料理のみでなく、夏期には、うなぎや、青年時代に博多で修行し腕を磨いた「水炊き」や「柳川鍋」などの料理も出すようになり、かき料理をメインとしたお食事処として、一年を通じてお店を営業するようになりました。
 その後、地元のお客さまと従業員に支えられながらお店を営んでおりましたが、昭和30年代、火の不始末のため、半焼してしまう事故を起こしてしまいました。お店の存続が危ぶまれる危機的な状況において、署名活動をはじめとする地元の方々の温かい支えのおかげで、なんとかお店を建て直すことができました。
 そこから数年後、高齢になり、子供のいなかった立宝は、甥の畠山聖平を跡継ぎとして、迎え入れることとなりました。また同時期に丹波より、調理の修業をするためにこの地に足を踏み入れた、足立愛子(現・社長)が、立宝の弟子入りをすることとなり、聖平と愛子は努力を重ね、立宝と共にお店を盛り上げていきました。その後、意気投合した聖平と愛子が結婚し、3人の娘に恵まれ、お店を営んでおりましたが、立宝が病に倒れたため、一時休業することとなりました。
 月日が流れ、子育ても落ち着いてきた昭和60年11月に「かき庄」を再開することとなり、昭和63年に聖平がお店を退き、平成元年に有限会社かき庄を設立し、愛子が代表を務めお店を運営することになりました。その後、成長した娘もお店を手伝うこととなり、平成28年に創業90年を迎え、今に至ります。

 明治37年、創業者である高山立宝(たかやまりっぽう)が、当時かき商人が多い町としてしられる広島県安芸区矢野町で生まれました。創業者は、青年時代より料理をすることが好きで、縁もあって単身、博多にいる叔母の料理屋さんへ修行に行くことになりました。博多での修業をつんだのちに、憧れの京都へ向かい、さらなる修行を重ねていきました。その後、自身で店を構えることを決意し、そのまま京都での出店も検討しましたが、故郷で盛んだった「牡蠣」を使って料理をしたいという想いがあり、かき船が通り、ニッケなどで栄えていた「加古川」の地に移り、大正15年、立宝の父親、庄助(しょうすけ)より一文字とり命名した「かき庄」を創業することとなりました。

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 創業当時は、かき料理専門店として、10月から3月の間のみ生まれ故郷の矢野町より、仲居さんを呼んでお店を営業し、4月から10月の間は、家族で農作業を行っていました。また戦時中は、お店を休業し、船内での料理担当を務めておりました、戦争が終わりお店に戻ってきた際に、冬期のかき料理のみでなく、夏期には、うなぎや、青年時代に博多で修行し腕を磨いた「水炊き」や「柳川鍋」などの料理も出すようになり、かき料理をメインとしたお食事処として、一年を通じてお店を営業するようになりました。
 その後、地元のお客さまと従業員に支えられながらお店を営んでおりましたが、昭和30年代、火の不始末のため、半焼してしまう事故を起こしてしまいました。お店の存続が危ぶまれる危機的な状況において、署名活動をはじめとする地元の方々の温かい支えのおかげで、なんとかお店を建て直すことができました。

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 そこから数年後、高齢になり、子供のいなかった立宝は、甥の畠山聖平を跡継ぎとして、迎え入れることとなりました。また同時期に丹波より、調理の修業をするためにこの地に足を踏み入れた、足立愛子(現・社長)が、立宝の弟子入りをすることとなり、聖平と愛子は努力を重ね、立宝と共にお店を盛り上げていきました。その後、意気投合した聖平と愛子が結婚し、3人の娘に恵まれ、お店を営んでおりましたが、立宝が病に倒れたため、一時休業することとなりました。

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 月日が流れ、子育ても落ち着いてきた昭和60年11月に「かき庄」を再開することとなり、昭和63年に聖平がお店を退き、平成元年に有限会社かき庄を設立し、愛子が代表を務めお店を運営することになりました。その後、成長した娘もお店を手伝うこととなり、平成28年に創業90年を迎え、今に至ります。

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